書評 James G.Lennox, Aristotle's Philosophy of Biology
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James G.Lennox, Aristotle's Philosophy of Biology: Studies in the Origins of Life Science, xxiii+321p, Cambridge: Cambridge University Press, 2001.

 Contents

 Part I. Inquiry and Explanation: Introduction
1. Divide and explain: the Posterior Analytics in practice
2. Between data and demonstration: the Analytics and the Historia Animalium
3. Aristotelian problems
4. Putting philosophy of science to the test: the case of Aristotle’s biology
5. The disappearance of Aristotle’s biology: a Hellenistic mystery

Part II. Matter, Form and Kind: Introduction
6. Are Aristotelian species eternal?
7. Kinds, forms of kinds, and the more and less in Aristotle’s biology
8. Material and formal natures in Aristotle’s De Partibus Animalium
9. Nature does nothing in vain…

Part III. Teleological Explanation: Introduction
10. Teleology, chance, and Aristotle’s theory of spontaneous generation
11. Aristotle on chance
12. Theophrastus on the limits of teleology
13. Plato’s unnatural teleology.

  

日本西洋古典学会 西洋古典学研究』LII, 2004. に掲載。

[   ] 内は字数の都合上削除した部分を示す。

尚、掲載誌で用いた略号は使用せず、文字に適宜強調をつける。

 


  本書は, Cambridge Studies in Philosophy and Biology というタイトルのもと,現在15冊出版されている叢書の一冊である.しかし,単なる歴史的回顧として,この哲学叢書に加えられたのではない.「生物学の哲学」において,時代を遠く隔てていることは,むしろ歓迎されるべき特殊事情がある.その点について,著者 Lennox は,アリストテレスの「生物学の哲学」が,キリスト教とデカルト主義から免れていることを指摘している (pp.xx-xxi).それはつまり,生物学を創造説に立脚させないこと,そして,生命現象を物心二元論という不適切な枠組みの中で物理主義的に解消してしまわないことを意味しよう.アリストテレスは遡って参照されるべき十分な意義をもっているのである.

   実際,現代の「生物学の哲学」において,まだ限定的文脈ではあるけれども,アリストテレスは正当に評価され始めている.それを大きく促したのは,英米の研究者を中心とした論文集 Philosophical Issues in Aristotle's Biology (1987) である.Lennox は A.Gotthelf とともにその編者でもあった.ところで,この論文集も含め,アリストテレスの動物論に関する現在の活発な研究は David Balme (1912-1989) に負うところが大きい.テキストに誠実であるとともに示唆に富む彼の研究は決して色あせることがない.Lennox は本書とほぼ同時に『動物部分論』全巻の翻訳・註釈 (Aristotle On the Parts of Animalis I-IV, Clarendon Aristotle Series, 2001) も出版しており,その堅実な研究姿勢において Balme を確実に継承している.

    [Lennox は,学部時代に『霊魂論』研究のため動物論に着手し,博士論文として Jeseph Owens のもとで『形而上学』と動物論の関係についての研究を完成させている.その過程において,Gotthelf と知り合うとともに,Balme や(「生物学の哲学」の第一人者の一人であり本叢書の監修者も務める) Michael Ruse らと面識をえている.更に Balme には博士論文の outside reader を依頼してその指導を仰いでいる (pp.xi-xii).活発な議論を通じて進められている欧米のアリストテレス研究において,Lennox は今日にいたるまで第一線で活躍し,現在ピッツバーク大学で科学史科学哲学教授をつとめている.]

  本書は,もともと古代哲学の研究誌(研究書)に掲載された論文から構成されており,どれもテキストの綿密な検討を中心とする(現代の議論への言及は僅かである.p.108,p.243,p.260).1978年から20年間にわたり執筆された論考は,内容上三つに分けられ,第一部では科学(学問)方法論,第二部では形而上学的問題,そして第三部では目的論がそれぞれ主題的に扱われる.巻頭と各部冒頭で概観が与えられているけれども,それは必ずしも親切な案内とはいえない.評者は Lennox の意図を探りつつも,見通しをつけながら全体を展望していきたい.

  第T部 ("Inquiry and Explanation") では,アリストテレスにおける生物学研究の方法論が扱われ,特に科学(学問)方法論を扱う『分析論後書』(以下『後書』.尚,書名について適宜 LSJ の略号を使用)との関係が焦点となる.Lennox は『後書』と動物論との整合的解釈を図る.つまり,(I-1) 一般的(論理的)局面において,『後書』が継承され (chs.1-3),(I-2)『動物部分論』1巻のいわば「生物学の哲学」において,『後書』の構想にもとづきつつ必要な補足改訂が施されているとする (ch.4).(I-1)『後書』の継承について,Balme の示唆を精緻に展開した次の点はひろく支持されている.つまり,(A) 『動物誌』は,動物分類学でも(後世の意味での)博物誌でもなく,『後書』の方法論 (esp.APo.B14) に従って,類と種差により「情報を組織化」したものであり,(B) 『動物部分論』『動物発生論』はそれに続く「原因の探求」として位置づけられる(esp.ch.1).Lennox は更にこうした(A)(B)の探求の展開を,『後書』の事実知から原因知という論点 (APo.B1-2,8) とも関連づけている(ch.2).

  ところで、『後書』は内容上学問体系論 (APo.A),探求論 (APo.B)に大別されるが,動物論との整合的解釈はせいぜいその探求論に限られるのではないかという見方がある(J.Barnes,G.E.R.Lloyd).Lennox は,これに対し,『後書』についてその要となる知識論 (APo.A2,A5) に遡りその立論を理念的に捉えることで,『後書』全体と動物論との軋轢を最小限に抑えているといえる(ch.1).尚,Lennox は『後書』と動物論との関係について,論理実証主義者の科学哲学とその後の「生物学の哲学」との関係に類比的であると示唆する.しかし,それは Lennox の解釈に有利な比喩とはならないだろう (p.6,pp.108f).

    [第T部では他に,アリストテレスの方法論に基づく生物学は,(ガレノスをも含み)アルベルトゥス・マグヌスによる再興まで,長い期間衰退し,博物誌的生物学が展開したことを歴史的に辿っており興味深い(ch.5).]

  第U部 ("Matter, Form and Kind") は形而上学的問題である.Lennox は,最初期の論文 (1980) を改訂するにあたり (ch.7: 1987) ,P.Pellegrin らの研究をうけて,題目の一部を「類・種 (genera,species)」から「類・類の諸形態 (kinds, forms of kinds) 」に変更している.genoseidos は,分類学上の「類」と「種」に対応するものではなく,一般性のあらゆるレベルにおいてみられる.種は常に類の諸形態の一つとしてあり,類を分割することによって,つまり種差を特定することによってえられる.このように,第U部の標題は「質料・形相」と「種・類」を意味し,一方で (II-1),第T部の「種・類」という論理的問題を存在論へと引き継ぎ (chs.6-7),他方で (II-2),第V部へと展開される目的論(原因論)において「質料・形相」の問題を扱う(chs.8-9).

   (II-1)「類・種」問題においては,種の永続性 (ch.6)と自然種についての本質主義 (ch.7) が再検討される.特に,後者は,「類の下位区分は程度の差(mallon kai hetton)による」という類・種問題で動物論のみに特有な論点に着目したものとして重要である.Lennox は,「類型学的 (typological,p.179,n.4)」な本質主義を排し,種の現在の生活様式に必須の性質として目的論的に本質主義を捉え直している.

  これら「種の永続性」「類型学的本質主義」はともにアリストテレスが進化論を採りえない論拠とされる教説であるが,Lennox はそれらが論拠とならないことを示している.もちろん,それによってアリストテレスに進化論を帰す訳ではないけれども(pp.128f,p.179,n.11),Lennox の考察は,現代生物学における「適応」といった話題をアリストテレスとともに考察することが決して時代錯誤でないことを示唆してくれている.

   (II-2) 次に「質料・形相」問題であるが,自然学において形相と質料とをともに探究しなければならないという方法論的言明 (Ph.B2 etc) の意味を,『動物部分論』の実際の考察(U-W巻)に探り,質料としての自然は,単に「仮定からの必然」となるだけでなく始動因の働きを制約する点で説明原理となること,他方,形相としての自然は,(目的因でもあるが主に)目的へ方向づけられた始動因(esp.p.202,n.9)であり,形相に従い選択的に(i.e.任意の仕方でなく)質料に働きかけることを論じている(ch.8. 評者は同趣旨のことを『自然学』B巻から論じたことがあるが,とくに始動因としての自然はほとんど採られない解釈であるため,この論文にたいへん心強く感じた覚えがある).

    [自然をこうした始動因として見る場合に,始動因としての製作者と峻別することが重要となり,第V部でもいくつかの考察がなされるが,「自然は無駄をしない」という言明がもつ問題ももその一つである.Lennox はこの言明が動物論において第一原理(公理)として機能していることを示す(ch.9. cf.Gotthelf).]

   第V部 ("Teleological Explanation")では,アリストテレスの目的論を周囲から絞りこむ仕方で,つまり (III-1)偶然性(chs.10-11)と (III-2)アリストテレスの目的論とは区別される製作者モデルの目的論 (chs.12-13)から、探り出している.

    (III-1) Lennox は,偶然性の考察を通じて,目的論について形相的複製 (formal replication) モデルを提唱する.つまり,始動因のもたらす結果(目的)が始動因と形相において同一であることである.偶然による場合は,逆に形相的複製ではない.そして,偶然性の要点は,非恒常性という頻度の問題ではなく,こうした非目的論性にあるとする.評者はこうした見方に賛同する.Lennox は Gotthelf から批判をうけた論文を「ためになる失敗」として訂正補足をしないまま10章に再録しているが,ここで再検討を要する点は,偶発的(非性生殖的)発生が物理的要因によって恒常的に発生しうるという解釈を与えた点にあろう. 

    [(III-2) 目的論の境界問題として,一方で,Pangloss のような適応主義的目的論の問題について,テオフラストス『形而上学』の目的論に関わる難問とアリストテレスのテキストとを比較しつつ検討し,他方で,プラトンの非自然的な製作者モデルの目的論を明らかにしている.これらはともにアリストテレス研究を離れても意義のある研究であり,特にプラトン論文は本書構成上どうしても否定的な意味合いにならざるをえないが,『パイドン』で期待されたヌース原因説が『ティマイオス』で展開されたことを扱う貴重な研究である.尚,同様な研究がほとんど見かけられないと指摘し (p.290),追記もないが,Lennox 論文の初出と同年に発表されたものがある (S.K.Strange,rep.in G.Fine ed.,Plato 1,1999).]

   今後のアリストテレス研究また古代哲学研究において,本書が必ず参照されなければならないことは明らかである.その点で,本書が出典索引を欠いているのは残念である.また,各論文の初出書誌情報について明記されず不便であるが,これは前掲『動物部分論』註釈書の文献表で補うことができる.尚,わずかながら,参照頁が初出誌のままであったり (p.141,p.172),指示論文が文献表に記載されていない(p.140: Waterlow) ということが目についたけれども,これらは増刷において訂正されるであろう.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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